2019年6月6日木曜日

短編小説「ホクロ」

私達が、お互いの肌を自由に触れる様な距離になった頃。彼がある日、私の顔のホクロを指で優しく押さえて、にこにこと嬉しそうに笑った。初めは彼が何をしているのか理解出来ずにいた。私の口元の、その場所を指で押さえる彼の手に触れながら「何??」と尋ねたら、彼は嬉しそうに弾んだ声で

『ホクロ。』

と答えた。




ああ、そうか。でもなんでそんなに嬉しそうなの?何が楽しいの??と続けて聞くと、彼は更に声を弾ませた。

『僕は人の顔や名前を覚えるのがとても苦手でね。でも、君と初めて会ったときこのホクロはすぐに覚えたんだよね。ここにホクロのある人のこと、記憶に残ってた。2回目、3回目と会うたびにホクロの位置を確認して、ああ、あの時の人だと思った。貴方にまた会えたなと思っていた。今はもう貴方の顔も名前もきちんと覚えているけれど、僕はこのホクロがいつも懐かしい。貴方が貴方であることを確認するための識別コードみたいなもので、このホクロを見ると安心する。本物の貴方がここに居る、また会えたと思ったことばかり思い出す。』

彼は嬉しそうに、ホクロを指で撫でたりしていた。

私は、突然涙が溢れ出てしまった。

彼は飛び上がるように驚いて『ごめんなさい、失礼だったろうか。嫌だった?』と謝っている、誤解を解くために話さなくてはならなかった。

ホクロのできた日の話。


私が幼稚園の年中だった頃だから4歳頃、夕方園に迎えに来た母が私の顔の口元あたりを突然指でこすった。しばらくしてハンカチを取りだし、私の顔の同じ場所をごしごし強めに吹拭き始めた。痛い、ヤメテ!といっても辞めない。

「何この汚れ、落ちないわ。」

それがホクロの出来た日だった。生まれたてのホクロは汚れと間違われた。それがホクロだと理解した母は、私の目の前でガッカリとした顔を隠さなかった。

「顔にホクロが出来るなんて!朝まで何もなかったのに!」

帰宅して、夕飯の時間になり、家族で食卓について、ずっとずっと私の顔のホクロを残念そうに眺めては「顔にホクロが出来るなんて!」を繰り返していた。

「生まれたときから何もなかった綺麗な肌だったのに。今日突然出来たのよ!そのホクロ!汚れかと思ったのに、擦っても取れないの!」

私は生まれた時、顔にはホクロもそばかすも何もなかったらしい。家族はその話題で何度も何度も笑った。私は鏡を覗かないと見えないそのホクロが、そんなに残念なものなのかと驚いて、4歳ながらなんだか悲しい気持ちだった。私の顔に今あるホクロはそれ一つではない、その後もいくつか目立つ場所に小さなホクロが出来る度に、その会話は繰り返され、汚れと思い込んで拭き取ろうとする母から「またホクロができた…」とがっかりされた。

親戚の前でも、初めてホクロが出来た日の話は何度も何度も披露され、何度も笑われてきた。

「お前の顔に、消えない汚れが一生残った」

そう、言われている気がしていた。ずっと、ずっと。普段は表に出さず何も考えないようにしているが、ふと思い出すことがあった。それでもこの顔の汚れと共に生きてきた、これが私だ、そう思いたかった。思うようにしてきたから大丈夫だったはずなのに。


泣きながら「ありがとう、見つけてくれて。ありがとう。」としか、言えなかった。

彼は私の涙を手で拭いながら、最初に出来た口元のホクロを触っていた。

『貴方の顔を思い出す時、いつものこのホクロの事が真っ先にイメージに出てくるんだよ。まだ貴方をよく知らない頃、街で貴方に似た人を見かけたことが何度かあって、このホクロがあるかどうかいつも確かめていたよ。これはとても良いものだよ。』

彼は愛おしそうに、ホクロを指で撫でたりしていた。その顔を今も覚えている。

※創作なのでフィクションです。

0 件のコメント:

コメントを投稿