2018年12月17日月曜日

詩のような短文「1+1=2」

私達はとても大きな孤独を抱えているものだから、二人が一緒になってみても1+1=2なのだと考えています。

毎朝目が覚めたら笑顔で「おはよう、今日も孤独だね」眠る時には手を繋いで「おやすみ、今日も孤独だったね」。二人の抱える寂しさの種類は全く違うものだから、決して混ざり合うことはないけれど。そこから湧き出し感じる不安は、とてもよく似ているのではないかと思います。

私達は何故、この世に存在するのか。最後は何処へたどり着けば良いのか。ここに存在している事への少しばかりの違和感は、どう取り扱えば良いのか。今まで誰にも出来なかったそんな話が、あなたとならば朝から晩まで、泣きながら笑いながら、言葉に触れて体温を感じながら、打ち明けることが出来るのです。

お互いの声を聞きながら、二人は静かに静かに笑います「同じですね」と。胸に空いた大きな穴を満たすことは、いつまで経っても出来ぬまま。けれどその穴の中へ時々引きずり込まれそうになる時は、強く掴んだ手を離さずに、ここへ引き戻してあげられる。冷えた体を温める言葉を持っている。二人で居るから満たされるなんて事はないけれど、一人ぼっちが二人ぼっちになることは、大変心地のよいことだと思っています。

詩「おやすみ」

ぐしゃぐしゃに泣いている君を
ぐしゃぐしゃになるほど抱きしめます

ぐしゃぐしゃのふたりの境目が
ぐしゃぐしゃに溶けて混ざりあい
ぐしゃぐしゃの今日を乗り越えました

ぐしゃぐしゃの明日が襲ってくるけれど
ぐしゃぐしゃに泣いて笑って抱きしめて
ぐしゃぐしゃの歪んだ幸せに包まれて

ぐしゃぐしゃ音をたてながら生きてゆく

ぐしゃぐしゃの心はふたりの距離を
ぐしゃぐしゃに狂わせる時もあるけれど

ぐしゃぐしゃの毎日をやり過ごすために
ぐしゃぐしゃに笑う顔の君をまた
ぐしゃぐしゃになるくらい抱きしめます

ぐしゃぐしゃの君へ 
またあした

詩「乱反射」

丸く艶やかであった表面は
傷付けたり傷付けられたり

ある日それは
強風の日の湖面のように
さざ波で乱れた水面のように
照りつける太陽の光を
四方八方にギラギラと
乱反射するようになっていく

深く刻まれた溝に光は届かず
尖った先できらめきを作り
傷だらけで乱反射するこの眩しさに
蓄えた傷の痛みを抱え持つ

癒えぬ場所から滴り落ちる
涙のような透明な液体は
光の粒を拡散させて
キラキラと落ちてゆく

凛然たる乱反射の人々よ
美しき輝きよ

影と光は共にある

2018年5月7日月曜日

「怒り」とは何なのか。

息子が小さい頃から、プレッシャーがかかると言葉がでなくなりがちな子供だった。

私は私で、生い立ちが色々あるもんで、怒りのコントロールがなかなか難しい時がある人。

一昔前の息子は、私が怒る様子が見えると途端に萎縮し声がでなくなった。何か話せと促しても「怒られている怖い」「怒られている自分は悪い事をした!」「失敗した!」という喪失感と敗北感と不安みたいなのが一気に襲ってくるらしく。

長年その対処には頭を悩ませたが。息子がある程度の年齢で会話で様々なニュアンスが伝わるようになった頃を見計らい。そもそも「怒りとは何なのか?」を説明する所から入った。

君が怒られる時には、いろんな可能性があること。

1.絶対にやってはいけないことをした(社会悪としての)
2.相手を傷つけ、気持ちを踏みにじるようなことをした
3.約束やルールを破った
4.怒ってる人が忙しい時にタイミング悪く迷惑をかけた
5.怒ってる人の機嫌が悪い
6.怒っている人が普段から怒るのが下手くそで怒りっぽい
7.怒ってる人が変わった人で、自分の思った通りにならなくて怒ってる

まだあるかもしれない重複しているかもしれないが、ざっと挙げるとこんな感じ??で、君が怒られる必要がありそうな時って1~3なんだよね。4~7は怒ってる相手がちょっと間違ってる。そしてなんと!お母さんは4~7の理由で怒っていることもあるのです!!大人も失敗をします!大人は子供よりもたくさん勉強して知識が豊富なことくらいで、完璧ではありません!大人もたまに間違えます!

そして我が家の大事なルールです!大人も子供も平等なので、なんと子供が大人を叱っていいのです!つまり君がお父さんやお母さんに激怒してもOKなのです、だって大人も間違えるから!!!!!大人も失敗したら叱られて、ごめんなさいと謝って反省する必要があります!

この話は何度もした。段々息子も『あっ、今お母さん怒ってるの僕のせいじゃねぇ』と理解出来る日が増えてきた模様。

そしてやっと、この1年くらいかな。成長を実感する。

「おかーさん、それ僕に関係なくない?おかしいと思うんだけど。本当にうるさいね。」

よしいいぞ息子!その調子だ!ごめんなさい。


2018年4月23日月曜日

短編小説「君の望みの喜びよ」

君が比較的、体調の良かったあの日の会話を、今もまだ覚えている。そして、それは何度も何度も、僕の意志とは関係なく突然脳裏に浮かんでくる。

少し開けた窓から緩やかな風が吹き込んで、ドレスの裾ような薄いレースのカーテンをふわりと揺らしていた。まだ君が元気だったころに待ち合わせた店で、いつも遅れる僕を待ちながら食べていたガトーショコラを持っていったら、今日は体調がいいから食べられそうと君は喜び、ほんの2口ほど食べて「懐かしい」と笑った日。随分と痩せて顔色は良くないけれど、いつもより笑顔が多かった君の小さな声。その日の言葉の記憶。


足りないよ。
もっと、もっと早く会っていれば良かったのに。

幼馴染が良かったよ、家が隣同士で赤ちゃんの頃から一緒に育っていればよかった。学校もずっと一緒で仲良しで、思春期になって少し意識し過ぎて離れて、そして付き合って、結婚して、それからずっとずっと一緒が良かったよ。

もっと時間が欲しい。もっと早く始まりたかった。

昨日、いいことを思い付いたの。生まれ変わったら、あなたが生きている間は猫になって、必ず目の前に現れるから。白い猫がいいかな、後ろから見ると猫かウサギが分からない猫にしようかな。見つけたら飼ってくれる?

あなたが生まれ変わる時に私もまた一緒にそうするから、それまでは私は何度も猫になって側に居る。また二人とも人に生まれ変わったら、次はもっと早く見つけよう。早く。もっと時間が欲しい。今よりもっと一緒にいよう。

ごめんね。


その日から数か月、君は死や来世については語ることは無く、いつも「ありがとう」と言った。最後の言葉も「ありがとう」だった。